サン都市計画社長・森口公晴のブログ

代々木八幡~人と不動産あれこれ

本稿はメディアプラットフォーム「note」に掲載した文章の転載となります。
https://note.com/kousei_sun

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前回は私が生まれ育った街、代々木八幡について記しました。
今回は、このエリアにおける人と不動産の関係について書きたいと思います。

小規模ビルオーナーの誕生

昭和20年代、代々木八幡界隈の商業エリアは、通りに面して店舗、その奥に住居スペースという木造平屋建ての、いわゆる今でいうところの「店舗併用住宅」が多くみられました。
そして昭和30年代、40年代、その「店舗併用住宅」は平屋から二階建てとなって、一階部分が店舗、二階部分に住居を設けたタイプに取って代わられるようになりました。

昭和50年代、60年代に入ると、これまでの建物をビルに建て替えるという動きが広まります。店舗を一階に据えて住居スペースも確保し、そしてその他の部屋を賃貸に出すという「店舗併用共同住宅」が増えてくるのです。
ビルオーナーになることで、家賃収入への期待もあったのかもしれません。借金をしてでもビル経営に乗り出すということが、このころ盛んに行われるようになりました。

小規模ビルの建ち並ぶ富ヶ谷一帯

都内でのビル経営は「楽」?

年二千万円の賃料収入があると聞いたら、どのようなイメージを持たれますか。
都内の賃料は他のエリアと比べて高額であるし、ビルオーナーはきっと豊かな収入を得ているに違いないと考える方もおられるでしょう。

では、実際はどうでしょうか。
ビル経営には、修繕費、管理費、固定資産税等々、実に多くの経費がかかっています。
下記の表を見て下さい。

上記の表は一例ですが、賃料収入の約8割が経費で消えていき、手元の収入は2割程度です。これを見ると、ビル経営は決して楽ではないことが分かると思います。

オンとオフが共存する理想的なエリア

代々木八幡エリアは、アベノミクス以降、またここ数年ブームとなっている「奥渋」人気の効果もあって、バブル時には届かないけれども、土地の価格、そして家賃収入も回復傾向にあります。

しかしながら、やはりコロナ・ショックの影響が、今後どのような形であらわれてくるのか、先が見通せないことについては、他の地域と変わりません。

そのような中で、この代々木八幡エリアに期待できることは何だろうと考えると、この街がオンとオフが共存し得る理想的な「職住近接」エリアではないかと思うのです。

都内という仕事に最適な利便性を享受しつつ、一方で居心地のよいカフェやレストラン、代々木公園の緑が身近にあって気分転換をはかりやすい――。仕事と休息、つまりオンとオフの切り替えが、一日という短いスパンの中でできる、限られたエリアではないかと思うのです。仕事も暮らしも楽しみたい、そんなライフスタイルを好む人たちにとっては、本当に理想的な「職住近接」エリアであるだろうと感じています。

戦後、木造平屋建てからはじまって、やがてビル経営へと走り抜けてきた古い住人たちの多くは、この土地を離れることなく、しっかりと守り、したたかに支えてきてくれました。
緑の多い街並み、昔からつづく代々木八幡宮の祭りや神輿、商店会の開催するイベントの数々。再開発の波にのまれることなく、新旧の良いところが穏やかに息づく街。それらが相まって、代々木八幡という魅力あるエリアがあるのだと思います。

古い記憶を残しながら、新しい人と文化も受け入れていくおおらかな土壌は、今も昔もたくさんの人をひきつけているのです。

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